はじめまして
ここではこのホームページを作っている笹辺義人(ささべよしと)が、高校時代から現在にいたるまでを振り返りながら、私がどういう人間なのか、何をやろうとしているのかをお伝えしたいと思います。高校教員をへてキャリアカウンセラー(国家資格キャリアコンサルタント)を取得し、キャリア教育をやりたいと思うまでの小さなストーリーをお話しますね。
高校時代、黒歴史!?
中学校まで優等生で県内有数の進学校に進学しました。高校の選択は自分の優越感を満たすもので、合格は誇らしくありました。
しかし、そこは県内から成績優秀者が集まる進学校。田舎の中学校で成績優秀でも、その高校では一気に下位層の成績でした。自分の優越感は一気に打ち砕かれ劣等感へと変わりました。それでも青春を満喫したいという希望は捨てられず、最初、山岳部に入りました。30㎏をかついでの校舎の階段を上下する練習についていけず、帰宅すると疲れて寝てしまい、授業の予習が出来なくなりました。英語が特に苦手で、かなりの時間を単語を辞書(本です)で調べるのに多くの時間を取られました。数学も古典も授業についていくことができない。そんな中で、「こんな授業、絶対おかしい」と開き直ってみるものの、劣等感に押しつぶされる毎日でした。
成績は振るいませんでしたが大学進学することは当然のことと考えていました。青年期特有の「自分とは何か」を考えることが多くなり、そこから「人間」そのものに興味を持ちました。当時、新しくできた「人間科学部」に興味を持ち、そこに進学したいと思い込みました。しかし、高校の勉強が分からなくなっていた自分は不合格、親に頼んで予備校に通わせてもらいました。ただ、成績の悪い自分を見捨てないでいてくれた親には感謝です。
予備校を経て、大学進学。「生きがい」や「働きがい」を卒論に
予備校では自分の知的好奇心をくすぐる英語の先生と出会いました。授業の半分以上は時事放談と自己啓発。とにかく面白くて、嫌いだった英語も徐々にわかるようになり、大学で思う存分好きなことだけを学びたいと思うようになりました。次の年は、合格することができ「人間科学」をやっている大学に進学することができました。高校に報告に行ってショックだったことが一つあります。進学実績で「その他の大学」に分類されたことです。最後まで、高校との関係はよくなりませんでした。
大学での教養の講義ではドイツ語以外とても興味深かったです。一番の出会いは専門課程前の基礎ゼミで、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』を皆で読み進めたことです。「人間は自由であることこそ善」という自分の人間観を揺さぶってくれました。そのゼミの先輩が雄弁に社会問題や正義を語ってくださり、自分はその誘いを受けて教育学部の教育社会学のゼミに進学しました。
教育社会学ゼミでは大規模な社会調査の調査員を体験させていただきました。あらかじめ調査のはがきを送付してあるご家庭に自分でアポを取って、バスに乗って住宅地図を見て訪ねていく。そこで、約2時間にわたって聞き取り調査を行いました。自動車工場のラインで働く人々の生活を聞き取ってくる調査でした。(今思えば、社会構成主義のナラティブという手法だったと思います。)自分の社会観が大きく広がりました。卒論はこの調査の中に質問を入れていただき、労働者の働きがいや生きがいについてまとめました。家族のために働いている方もいれば、自分の作った車が街を走っていることに喜びを見出す方もおられました。
大学を卒業後、民間企業に就職したものの、夜勤で体を壊してしまいわずか6か月間で退職。困って大学の教授に相談した所、教員の資格を取ることを勧められたのが、教員になるきっかけでした。自身の職業選択の失敗が現在の仕事に影響を与えていると、このホームページを書きながら気づきました。高校時代の挫折経験から「教員には絶対にならない」と考えていたのですが、就活の失敗から教員になり、「でもしか教員」と言われても仕方ないと思います。
教員生活
1990年から公立高校の教員(地歴・公民)になり、結局、定年まで32年間勤めることとなりました。
最初の4年間は地方の進学校に勤務しました。受験勉強の再来です。最初は得意な政治経済や倫理を教えていたのですが、先輩から歴史も教えられるようにならないといけないというアドバイスから日本史も担当するようになりました。
ここでも大きな失敗体験からスタートしました。
最初に担任をしたクラスで生徒が教師に暴力をふるうという事件が発生しました。自分は何をどうしたらいいかわからず、学年主任の先生に言われるがまま指導をしたのですが、その子は退学という結果となりました。これをきっかけに担任のクラスの生徒からは冷たい視線を感じ、信頼を取り戻すことなく1年が過ぎました。その後、クラス替えがあり、2年3年と持ち上がりでクラスを担任したのですが、教材研究に明け暮れ、生徒とのコミュニケーションをおろそかにしていたため、学級経営は生徒たちに助けられて乗り切れました。
2003年から19年間、夜間定時制高校に勤務をし、定年までの7年間は進路指導主事として様々な困難を抱える生徒の就職支援にあたりました。卒業までに生徒の進路を100%決めることができるようになり満足していたのですが、頑張って就職したにもかかわらず、早期に離職した生徒が多いことを知り、「総合的な学習の時間」(その後「産業社会と人間」に継承)の時間に同僚の力も借りてキャリア教育のプログラム(年間35時間)を作りました。
プログラムの中で外部講師としていただいた方が、とても生徒の話を引き出すことがうまく、どんなお仕事をされているのか伺うと「キャリアコンサルタントです」とのことでした。先生とお話しをする中で、これを退職後の自分の仕事にしようと思い、「国家資格キャリアコンサルタント」を取得しました。
現在は大学でキャリア形成支援の仕事をしています。
(2022年3月まではハローワークで訓練前キャリアコンサルティング(ジョブ・カードの作成支援)の仕事もしていました。)
のべ面談件数165件